以前の記事で、日本の食文化に「油」が登場したのは「いつくらいか?」という素朴な疑問について書きましたが、その歴史は縄文時代まで遡り、一般に「天ぷら」が普及するのは、高価なごま油に代わって、手に入れやすい菜種油が登場する明治期になってからのようです。そして大正末期には、今の油を使った料理がほぼ出揃います。

シズル図1その、歴史に関する素朴な疑問に続いて、いつも美味しくいただいている「天ぷら」や「フライ」などの揚げ物は、どうして「油で揚げることで美味しくなるのか?」というさらに素朴な疑問へとつながっていきます。焼いたり蒸したりしても美味しく食べられますが、「揚げる」ことで美味しくなるのはどうしてでしょう。

それは、簡単に言えば、水の沸点である100度以上の温度で調理できるからです。もちろん直接「焼いたり、炒めたり」することは、火の温度で調理できるわけですが、それはそれ。食材を均一に高温で、しかも焦げるなどの変化(苦味)もなく調理できるのは、「煮る」「揚げる」です。「煮る」のは水の沸点までの温度内での調理法ですが、「揚げる」のは180度程度までの油の高温を利用した調理法です。

image_b01その美味しさは「衣」が作り出します。江戸時代の記録に「饂飩(うどん)の粉まぶして」という記述があるようですが、要は小麦粉です。この小麦をまぶした「ネタ(素材)」を高温の油に投入すると、表面の水分が瞬間的に蒸発し、その部分が熱でタンパク質の硬化を起こし、それによって素材の美味しさを閉じ込め、「表面はサクッとして、中はジューシー」という料理が出来上がります。理屈は天ぷらもフライも、唐揚げも素揚げでも同じです。

天ぷらに関して「たね七分に腕三分」というプロの方の言葉があるようですが、まあ、「たね=素材」が大切というのは当然でしょうけど、「腕三分」の中には「油」が含まれます。それは「良い状態の油を使う」ということで、油ができるだけ「新鮮」であることは言うまでもありません。どんなに良い「たね=素材」を使っても、肝心の油が劣化していては「腕」の活かしようもありません。

image_b02とはいえ、頻繁に「新鮮な油」を使えば確かに素材を美味しく調理できるのでしょうが、コストの問題を常に突きつけられる現実のビジネスではそうもいきません。「揚げ物」にとって「油の劣化度合い」は重要な問題で、できるだけ長く「油を良い状態で使う」ことは、揚げ物調理に関わる人の共通の願いです。そして、それは「可能なこと」なのです。

揚げ物の美味しさの決め手、「油の鮮度」。それを少しでも長く保つ方法があります。「カラット君」をぜひお試しください。

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